AMBIVALENCE

2020/05/05 18:45




 ここ最近、この心に芽生えた感情に、ボクは名前をつけられずにいた。

 生まれてから今日までの28年間、一度も感じたことの無い感覚だったからだ。
物心ついたときから、大抵のことは人工知能のアリスが教えてくれた。
ボクの左手首に腕時計のように巻きついたこの叡智に、知らないことなんてないはずだったのだ。

だから、この葛藤や焦燥にも似た、チリチリと胸を焦がす感情をアリスが「分カリ兼ネマス」と言ったときから、ボクの感情は迷子になってしまっている。

 いや、別にいいんだ。こんな感情の正式名称なんて、ムリに理解しようとしなくても、この世界で楽しく生きて行くことはできる。
 何しろ、高度に発達したIoTテクノロジーは、ボクらの生活を100%以上快適に管理してくれているのだから。

 今や、全ての人類は世界で唯一無二の最高速マザーコンピューターによって「データ」で管理されている。
生まれたときにランダムに選定された「数字」を割り振られ、死ぬまでその番号で識別され続ける。
その代わり、飢えて餓死することも、寒空の下で凍死することもない。
 
 ちなみにボクの識別番号は142857−284。
 全ての生活は、この数字で成り立っている。
 
 食事は栄養価を徹底的に重視したゼリー状のパッケージが、自動でボクの住むカプセルハウスまで配送される。定期的な電気刺激でカラダを動かし、学習から娯楽まで、全てがコンピューター管理されている世界だ。
 わざわざカプセルハウスを出て、外の汚染された空気を吸う必要なんてない。睡眠すらもデジタルで完全にコントロールされ、毎晩見る夢は映画やDVDを選ぶようにセレクトできるようになっている。

 毎日の娯楽だって充実している。この世界での全てのエンターテーメントや他人との出会いは「ポリバレント・ネット」と呼ばれる万能電子空間の中で行われる。
そこには「デジタル記号化されたアバター」として参加し、他の人と出会ったり、交流をすることができるわけだ。
 スポーツはもちろん、囲碁や将棋のようなボードケーム、あるいはかつてのテレビゲームなんかもVR(バーチャルリアリティー)の発達で、アバターのまま体感できるのだ。

 今の時代では、生殖活動も性病感染や、染色体異常のリスクをコントロールするため、全てが体外受精で行われ、誰もが試験管ベイビーとして生まれ、コンピューター管理の下、人工知能であるアリスにいろいろと教わりながら、一人で育っていく。
 だから、両親の顔も記号のようなアバターでしか見ることはない。
 ボクはちょうど試験管ベイビー第一世代だ。当時の出生率はまだそんなに高くなく、ボクはすごくラッキーな子供なんだとアリスから聞かされて育った。
 そうそう、第一世代の識別番号が142857。この識別番号を持ちながら、現在もまだ生きているのはボク以外では他に一人しかいないというから相当な確率なんだろう。

 ボクが生まれる数十年前くらいまでは、まだ「人間の尊厳を守る」と声高に叫ぶデモが頻繁に行われたと聞くけど、いまやそんなことを主張する人はいない。
 当然だ。この快適な暮らしを放棄してまで守る尊厳なんてあるわけがない。
データ社会に切り捨てられたら、その後どうやって生きて行くというのだろう?それこそ、人間の尊厳が保てない生活を強いられてしまう。

 リアルな「恋」や「愛」や「恋愛」というものがデータの中だけモノになったのも、そのくらいの時期からだそうだ。
 コンピューター制御されたVR空間に行けば、自分好みの容姿と性格とスタイルの子が待っていてくれる。当然だけど、リアルに恋をして、振られて傷つく、みたいな旧世代のおとぎ話みたいな体験なんかしなくてすむワケ。

 ボクらは試験管で生まれ、試験管くらいに脆く育ってきた。

 この生活をしている以上、何も考えない方が幸せだ。
 ずっとそう思っていた。

 そう、あの夢を見るまでは…


 ボクらは夢まで管理されている。
深い睡眠と、健全な精神を養うため、健康生活庁管轄の元、毎晩の夢をセレクトするように義務付けられているのだ。

 その夜、ボクが選んだ夢は大航海時代の海洋冒険劇だったと思う。大海原に船を出し、見知らぬ島を探検して宝探しをするという、定番中の定番の夢。
 でも、その夜見た夢は全然違っていた。

 それは、すごくすごく遠い昔のようだった。ものすごく大きな木の下で、ボクはその人 —それは女性だった— と会っていた。
 周囲は草原で、羊たちがゆったりと草を食み、大きな河が少し奥に流れている。不思議なことに、ボクはその人のことを知っていた。それも、ずっとずっと昔から知っているという確信があった。名前までは出てこない。でも、顔をみた瞬間に、ボクは懐かしさと、得体の知れない感情に襲われた。
 葛藤や、焦燥にも似た、あの感覚だ。嫌な感じではなかった。でも、胸が苦しくて仕方なかった。残念ながら、何を話したかまでは覚えていない。ただ、すごく大切な約束をしたような気がする。
 目が覚めても、今の方が夢で、さっきの夢の方が現実じゃなかったのかと思ったくらい、リアルな夢だった。

 ボクは慌ててアリスを呼び出した。腕時計型の人工知能がわずかに震えて起動する。

「なぁ、アリス、なんで今日の夢を勝手に変更したの?」

[284サマ。私ハ夢ノ変更ナド行ナッテオリマセン]

アリスはいつもと変わらず、無機質に淡々と答える。

「え?じゃあ、さっきの夢は何?」

「システムエラーノ可能性を確認イタシマス」

「あとさ…」

[ハイ]

「すごく胸が苦しくて痛いんだけど…これ何?」

[284サマノ健康状態ハ、トテモ良好デス。脈拍、血圧、呼吸、スベテ異常ナシ]

「いや、そうじゃなくて、もっと感情的な苦しみなんだけど…」

[私ニハ、分カリ兼ネマス]

 それ以上は聞いてもダメなことはすぐにわかった。アリスのデータベースにはない感情ということなのだ。
 いくらボクの脈拍や脳波のデータを日々蓄積しているとはいえ、初期設定にない情報には答えられない。

 それもそのはずだ。ボクもあとから知ることになるのだけど、このどう名付けて良いか分からない感情こそが、過去の教科書に記されていた「恋」というものだったのだから。

 その日以来、ボクはよくその女性の夢を見るようになった。出会う場所はいつも違った。たぶん、それぞれで時代も違うのだと思う。
蹴鞠を楽しんでいるときもあったし、甲冑を身にまとって、あわてて屋敷を飛び出したときもあった。店先の風車がすごく印象的なときもあれば、月夜に照らされた竹林の中、その人の手を引いて必死に逃げているときもあった。

いつも夢はおぼろげで、でも、その人といるその瞬間だけは妙にリアルだった。

気がついたらボクは、その人のことばかり考えているようになっていた。
誰なのか、どこにいるのか、本当に存在するのか…何一つわからないというのに。

 ポリバレント・ネットを使って、その人のことを調べようとも試みた。名前はわからなかったけど、その特徴を事細かに入力し、検索をかけた。
でも、ダメだった。
 現行の法律では、個人情報の取り扱いは凄まじく厳しい。実の両親(単なる精子と卵子の提供者でしかないけど)ですらアバターでしか知ることの出来ない社会だ。一方的に夢で見た他人を検索させてくれるほど、万能ネット空間のセキュリティは甘くない。

 さすがにボクも諦め、途方にくれた。
一方で、その人に会ってみたいと思う感情だけが、強く膨らんでいく。
得体の知れない感情は、もう爆発寸前だった。

 こんな感情は初めてだった。どうしても会いたいのに、何も出来ない。釈然としない想いを抱えたまま、日々は過ぎてゆく。
 何か納得のいかない気持ちが心の中で膨らんでいった。これだけの情報社会の中で、なぜボクは会いたい人に会うことが出来ないのだろう?
 常に孤独と隣り合わせなのは変わらないまま、時だけがいたずらに流れてゆく。気がついたら、あの夢の続きを求めていた。そして、それが叶わず、夢と現実の間にうずくまり、むせび泣く自分がいた。

 そんな、自分の感情を持て余し、どうしようもなくなった9月の終わり、それは突如としてやってきた。

 コツンっという軽い音に、ボクは少し驚き、その音がした方い目を向けると、そこには、真っ白なカラスが一羽止まっていた。
 アルビノのカラスだ。

 美しいまでの純白さで、そのカラスはボクのカプセルハウスの外にいた。凛とした佇まいで、遠くを見ている。
 
 その瞬間だった。ボクはものすごく大切なことを思い出した。約束の場所だ。
 あの、夢で見た女性と、ボクは大切な約束をしていたのだ。

 「いつかまた、この世界樹の下で、お会いしとうございます…」

鮮明な記憶とは言えない。でも、確かな記憶だという確信はあった。

世界樹はここからはるか西だ。
アルビノのカラスがずっと見つめている方角にある。

そうか、あの、夢の中の巨大な樹は、かつての世界樹なのだ。

そう思うと、もう、いてもたってもいられなかった。

電子マネーキーと、ちょっとしたカプセルの食料だけをカバンに詰めて、ボクはマリアに外出許可を申請した。

世界樹にたどり着いたところで、その人に会える保証なんてない。でも、行かなくちゃならない、その思いだけは強くあった。

結局、アリスからの回答で、外泊許可が出たのは3日だけだった。名目は世界樹観光。
それ以外の許可されてない行動は取ることは出来ない。

それでもボクは、かすかな期待を胸に、カプセルハウスを出発した。
実に15年と8ヶ月ぶりの外出だ。
酸素カプセルの防護服越しに見る外の空は、想像以上に蒼く、そして高かった。



つづく


produced by Office io
Concept & Story|Andy( @we_creat ) 
Product & Design| hana( @office_io )