AMBIVALENCE

2020/06/09 09:00




「千」という名前があるのに、「姫」と呼ばれる違和感に慣れたのは、千が14歳になった頃だった。


無駄に広いお城の一角で、乳母と護衛と世話係の女中たちに囲まれて、千は死んだように生きてきた。

格子に仕切られた窓からは、遠く青い空だけが見えた。


生まれた直後から姫と呼ばれ、望むものはほとんど全てが与えられた。

異国の玩具も、菓子も、高価な着物も。


ただ唯一、自由に外出することは許されなかった。


城主の5人目の側室の、3番目の子ども。

他国へ嫁ぐために生まれ、育った。


自分のこの生での役割を理解するとともに、千は過去の記憶を紐解いていく。

きっとまた、あの人が迎えに来てくれるはず。

その想いだけを頼りに、身動きの取れない重い着物を纏い、ただただ、ひたすらに座敷に身を置いた。


時折、窓辺に遊びにくる白い色をしたカラスに声をかけては寂しさを紛らわす日々だった。


東国との大きな戦で、お城全体が緊張感に包まれたのはつい先月のことだ。


大軍をもって攻めてくる東国をどう迎え撃つか、軍議の声などいっさい聞こえない奥座敷の千ですら、その緊張感を感じる日々が続いていた。


微かに桜が綻び始めたころ、勝戦の一方が届いた。


場内にこだまする歓声と共に、手柄を立てた武将が凱旋すると女中たちが騒いでいるのが聞こえる。


馬のいななきと、甲冑の擦れる音が次第に近づいてくるのがわかった。


女中たちの噂話が聞こえる。


「今回も大将首をあげたのは二郎さまだったそうよ・・・」


「まぁ、あの、朱槍の二郎さま?」


千も、二郎の名前はこれまでにも何度も聞いた。

いつも少人数の精鋭を率いて、赤い槍を操り、劣勢の状況を大将首をあげることで何度もひっくり返してきた勇将。


戦場では、「赤槍の二郎」とか「一騎がけの赤武者」の異名をとっているとも聞く。


ただ、千ところにながれてくるのはいつも噂ばかりで、その姿をみるのはこれが初めてだった。


千の暮らす西の御殿から、その武将行列はよく見えた。


先頭を行く赤備えの武将が、噂の二郎なのだろう。


だが、千の目の前を行列の先頭は既に通り過ぎていて、赤い兜の後ろ姿しか見えない。


「二郎さま・・・」


ふと、千がつぶやいたそのとき。


二郎の前を白いカラスが悠然と横切って飛んだ。


二郎はその珍しい鳥に思わず目を奪われ、その飛んでいく方向を見るー


と、そこには窓から顔を出した千の姿があった。


ひとときの空白。


二郎の脳裏に何か遠い昔の記憶が掠めた。

だが、思い出せない。


何か、とても大切なことだったはずなのに・・・


気を取り直して前を向き、再び馬の歩を進める。

今は、殿への謁見の方が大事だ。


二郎はなんとか記憶に蓋をして、冷静を保った。


その姿をみて、千の頬には一筋の涙が流れる。


「お会いしとう、ございました・・・」


悠久の時を経た再会。


しかし、実際に声を交わすには、まだまだ刻が必要だった。



つづく


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